日本今様謌舞楽会の
公式ホームページです。
今様とは平安時代に流行した歌曲の事です。
当世風・今風であったことから今様と呼ばれ、身分の上下を問わず広く流行しました。
『遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん』で始まる歌曲は、皆様も一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
この歌曲は、今様を愛好していた後白河法皇 編纂の梁塵秘抄に掲載されており、この他にも梁塵秘抄の一部は現代まで伝わっています。
そして、今様の流行には 源義経の恋人であった静御前、平清盛の祇王祇女、仏御前などよく知られる『白拍子』等の女性芸能者が大きな役割を担いました。
日本今様謌舞楽会では 今様の研究、国内外での今様の奉納・公演、又1986年に今様合を復興させ、その実演等の活動を行っております。
2025年には「今様合復興40周年記念」として、計15回の特別奉納を行わせていただきました。
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ご挨拶

日本今様謌舞楽会は1948年先師桝井泰山により設立され、1978年に石原さつきに継承されました。桝井泰山は日本今様謌という名称で現在当会が基本としている節を生み出しました。
戦後間もなく厳しい社会情勢の中で今様という文化を掘りおこし、一つの形を築かれました。
在りし日の今様がどの様なものであったか、沢山の方々に協力を頂きながら実践的に研究を重ね、国内外で奉納・公演を続け今日に至ることができました。
今様及び白拍子について一人でも多くの方々に関心を持っていただけましたら幸いです。
人の心の まごころは
何によりてか つたはれる
うたとまひとの 道により
今もさやかに 見ゆるなり ーーーーーーー歌舞の心より
日本今様謌舞楽会 二代目家元 石原さつき

お知らせ
◆ 令和8年4月4日(土)午後2時〜
男山桜まつり(石清水八幡宮)
◆令和8年4月5日(月)午後1時〜
春の伝統芸能大会(八阪神社)能舞台にて
◆令和8年4月11日(日)午後1時30分〜
泰山忌(永観堂)
今様とは
今様
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今様は今からおよそ800有余年前京の都に大変流行致しました。神楽、催馬楽、田楽等に続いて当時大変今風だったところから「今様」と呼ばれるようになりました。 時の後白河院は世にもまれな今様の熱愛家であられたことは有名です。また梁塵秘抄を集大成されたことは歴史上有名であります
白拍子
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白拍子の起源は『平家物語』「祇王」の段に「白拍子のはじまりけることは、むかし鳥羽院の御宇に島の千歳・和歌の舞とて、これら二人が舞ひ出したりけるなり」とあり、鳥羽院の時代としています。服装については、当初、水干に立烏帽子、白鞘巻の太刀を差して舞っていましたが、のちに烏帽子・太刀を除き、水干だけ身につけた、と説明されています。
白拍子の語義は、本来、「歌につけて打つ拍子のこと」、あるいは「管弦の伴奏なしで歌うこと」などを意味したとされますが、転じて その歌舞を行う人自身を指すようになったと考えられます。その芸能の形態は『平家物語』によれば、今様や朗詠を歌った後に、鼓などを伴奏に舞ったとされます。
今様合とは
今様合(いまようあわせ)は、平安時代の後期、特に院政期に盛んに行われた歌謡の優劣を競う遊びです。「今様」とは、当時の流行歌謡を指し、七五調四句の形式で、独特の節回しが特徴でした。
院政期は、退位した天皇が政治の実権を握る時代で、宮廷文化に新たな潮流が生まれていました。後白河法皇は、今様に非常に熱心で、自らも歌い、その普及に大きく貢献しました。貴族社会では、歌や芸能に対する関心が高まり、「物合」という優劣を競う遊びが流行し、その一つとして今様合が行われました。

今様合は、歌合と同様の形式で行われ、参加者は左右に分かれて今様を歌い、その優劣を競いました。歌唱力や表現力が評価のポイントとなり、扇や鼓などの楽器を使うこともありました。判者が優劣を判定し、勝敗を記録する役職も存在しました。また、今様合は単なる遊びにとどまらず、当時の文化や芸能に大きな影響を与えました。今様の流行は、新しい歌謡の形を追求し、後の日本の歌謡の基礎となりました。また、白拍子たちの歌舞は、今様の魅力をさらに高め、能や狂言などの芸能にも影響を与えたと言われています。



